会社名といい、時速5kmといい、ちょっと不思議なプロジェクトの裏には、私たちの常識を覆す壮大なビジョンがありました。
大阪城公園を巡る「動く茶室」、人気のヘッドスパサービス「悟空のきもち」とコラボして、青空の下で移動しながらマッサージ体験できるサービスなど、時速5kmの自動運転システム「低速モビリティiino」について、もしかしたらテレビでご覧になった方もいるかもしれません。
「遠くに、速く」が求められる乗り物の世界で、あえて「時速5km」に目をつけた発想。それを手がけた会社の名前が「ゲキダンイイノ」という不思議なネーミング。知れば知るほどワクワクするプロジェクトの全貌を調査すべく、ゲキダンイイノのラボに潜入してきました!
社長がコーヒーでおもてなし。
ゲキダンイイノの根底にある「楽しさ」の追求
編集部が訪れたのは、吹田市にある関西電力の研修センター兼ゲキダンイイノの開発ラボ。敷地に入るとさっそく噂の低速モビリティが出迎えてくれました。
こちらは「iino type-S」という初期の開発機。ゴルフ場にあるカートを少し小さくした台車のようなボディの真ん中に平らなスペースがあります。そこに軽く腰掛ける乗り場が木材で組まれています。「木の部分に軽く腰掛けてください」と案内され、さっそくスタッフが乗車します。
軽く腰かけると、ススーとなめらかに動き出します。その速度は時速5km。思ったより体感スピードは速く感じて、隣を歩くにはちょっと早歩きが必要なくらいです。
完全自動運転で、あらかじめセットされたコースを移動していきます。途中、乗りたい人が近づくとスピードを落としてくれるので、「ぴょい」っと簡単に乗り降りできるところが楽しい。そして速度が安定すると、周囲の景色が流れるように移り変わり、その様子はまさに乗り物の景色と同じです。
そしてしばらく遊覧していると……
お洒落なBGMが流れるウッドスタンドでコーヒーを淹れている男性が……!
この男性こそ、“座長”ことゲキダンイイノ合同会社の代表、嶋田悠介。低速小型モビリティというユニークなプロジェクトを手がける会社らしい自由でカジュアルなおもてなしをしてくれた張本人です。
さて、淹れていただいたコーヒーを味わいつつ、敷地を案内していただきました。関西電力の研修センターも兼ねるこの敷地はかつて学校があり、校舎やグラウンドなど広大なスペースを自由に使えるとのこと。敷地内なのでモビリティの実験にも最適なのだそう。実際、グラウンドでは最新の小型モビリティ「iino-typeS-712」の実験も行われていました。
そしてガレージへ移動。関西電力らしからぬ(?)スタートアップ感のある雰囲気にワクワクします。ここで嶋田座長にインタビューを開始!
「面白い」から生まれるイノベーション
―嶋田さんは、本当に関西電力の人なんですよね?
嶋田「はい(笑)。私は関西電力に新卒で入社してから、経営企画やイノベーション・新規事業創出に関する業務に関わってきました。イノベーションに関する業務は何か新しいことを始めたいと思っていた私にはうってつけだったのですが、どの事業アイデアもなかなか前に飛ばせず、実行に移せないまま、日々悶々としていたんです」
―そこから時速5㎞の乗り物を考えたわけですね。クルマが好きだったのですか?
嶋田「いえ、そういうわけでもないんです。当時からEV(電気自動車)は重要なテーマとなっており、ビジネスアイデアを考えるワークショップ等を開催していたんですが、私自身、『電気を売る』ということからなかなか離れられず、発想に面白みが出せなかった。そういうこともあり、一度、『電気』ということを忘れ、モビリティの体験、つまり、『移動体験としての面白さ』というレベルまで抽象度を上げて考え直してみました」
―「面白さ」?ですか……。
嶋田「例えば、小さい時に何か面白かった移動体験ってなんだろうって話で、私が思い出したのは『ゴミ収集車の後ろに乗るお兄さん』。あの人たちって、収集するゴミのある場所に停車したり、そこから発車したりするときに、後ろの荷台にひょいっと乗る動作がありますよね。あの自由さが、面白いし格好いいなって……」
-ゴミ収集車、ですか……。(後ろを振りかえるとスタッフが「うんうん」とうなずいている)
嶋田「そこから『自由度が高いクルマ』って、面白そうだ!となって『時刻表や駅からも自由になって、好きな時に乗って降りることができるモビリティを作りたいよね』そんな話になったのがきっかけになります」
ゲキダンイイノの社名の由来
「ゲキダンイイノ」は、社員3名、業務委託スタッフ10名の会社。低速小型モビリティの開発を進めるに当たって、デザインや設計など関西電力の外部からもパートナーを集めてチームを組んでいます。「走る場所の魅力を引き立て、乗る人のエモーションを掻き立てる」をビジョンに、社員もスタッフも関係ない会社という垣根を越えた集団として、全国を巡ることから「(旅する)劇団みたい」ということでこの社名になったとのこと。そのため、代表の嶋田の肩書きも座長、スタッフは劇団員と名乗っています。
「近く、遅く」が新しい価値を生む
今の時代ならではの豊かな時間
嶋田座長の「自分の感性で面白いと思えることにチャレンジしたい」という情熱から始まったこのプロジェクト。しかし、「面白い」だけでは事業は成り立たないようにも思えますが2022年現在、ビジネス化も着々と進展しているとのこと。そこには面白いを超えた何かがありそうです。
-時速5㎞の乗り物は確かに面白いとは思うのですが、イノベーション創出という点では、実用性やビジネス化のハードルが高そうです。
嶋田「モビリティって今までは、いかに“遠くに速く”到着するのかが命題で、乗り物は便利という価値が重要だったと思います。でも、僕らは、 その真逆で“近くて遅く”到着することにもなんらかの価値があるのではないかと考えたんです」
-「遠く、速く」ではなく「近く、遅く」……!確かにだれも目をつけていない発想ですね!テクノロジーは、「便利」を追求するものですが、時流と逆の発想をするならそこには「便利以外」の価値があるはずですね。
嶋田「だから『iino』は、便利のためではなく、乗っている人が乗っているときにいかに楽しいとか面白いとかエモーションを掻き立てられるかを大切にしています。人が移動中に、五感を刺激されているかどうかも『iino』にとっては重要なこと。これまでは、速いことが正しく価値があることでしたが、今の世の中はそれだけではないと思います。それは、時代とともに変わってきた、豊かな日常になったからこそ求められる、人間らしさという価値観に通じるものだと思います」
-確かに!先ほどiinoに試乗しましたが、歩くスピードと変わらないのに、歩いているときとは見える景色が違うように感じました。何気ない植栽や周りの建物に目を向けるようになったり……。
嶋田「そうですよね。近くをゆっくり進むって、とても贅沢な時間の過ごし方だと思うんです。そこから生まれる心のゆとりから、いろんな発見があると思うんですよね」
時速5 kmは、心のゆとりと贅沢な時間を生む。その象徴が、ゲキダンイイノが栃木県宇都宮市で手がけた観光プロジェクト「月面休息」。歴史的遺産でもある大谷石採掘場跡地の洞窟や周囲の幻想的な竹林をゆっくりiinoで巡り、有名シェフとコラボした贅沢なディナーも堪能。1組20万円を超える高額な観光アクティビティながら、チケットは完売するなど反響を呼びました。
嶋田「観光って、せわしくて、ただ目的地まで歩いて行ってポイントを見て終わってしまうこともあるじゃないですか。でも、ゆっくりと周囲を見渡して空間全体を感じながら過ごすともっと特別な体験になると思ったんです」
―1組20万円超というのははちょっと手が届きにくいですが、観光地の空間を貸し切りにできるという点でもその価値はありそうです。インバウンドなど海外からの観光客にも人気が出そうなアクティビティですね。
嶋田「他にも実証段階からいろいろ試してきました。空間自体が動いているのでプライベート感があるということで、大阪城公園内で『type-S』を改造して、時速5kmの『動く茶室』や『動く日本酒バー』に、人気のヘッドスパサービス『悟空のきもち』を体験できるコラボレーションでは、3万件以上もの予約希望が集まるほどでした。五右衛門風呂とかもやってみたし……。その都度、多方面からの意見をいただいてブラッシュアップをして……」
―なるほど、どれも奇抜な取組みですが、「近く、遅く」がもたらす豊かな時間を活用するという点では共通しています。
嶋田「皆さんの感想は『同じ場所でも風景が違って見える』『リラックスできてコーヒーがおいしく感じた』といった利便性だけではなく、やっぱり新しい価値がそこにありました」
人に寄り添うモビリティが街を変える
社会のあり方を見直す挑戦
「豊かな時間」の個人的な体験から事業化を進めるゲキダンイイノ。挑戦はさらに続き、今度は、街を変えるような壮大なプロジェクトに進出します。
嶋田「今、世界では『Walkable City(ウォーカブルシティ)』という『居心地が良く歩きたくなる街作り』が推奨されています。日本でも、2020年に、国土交通省から『WE DO』をキーワードとした方向性が打ち出されて、交付金がついて行政が動き出している話を聞くようになりました」
―それは、どういう街作りなんですか?
嶋田「今、都市部の中心市街地は、自動車中心のつくりになっており、目的地から目的地までの過程として通り過ぎてしまう場所になりつつあります。街中には美味しいお店もあるし、ちょっと休憩して人と触れあう場所も設備としてはあるのですが、そこにふらっと立ち寄るような雰囲気はあまりなくなってしまっているんです。経済面でいえば、街に住んでいる人や、訪れた人がそれほど街にお金を落としてくれないという課題もあります。そこで、ウォーカブルシティのように、敢えてクルマやバスの通る道路を取っ払ってしまって、大きな広場のような歩道を街中に作ってそこをゆっくり歩いてもらう。それによって、街なかでの活動を活性化させていくという取組みです」
歩きやすい街作りをする「Walkable City(ウォーカブルシティ)」。今、ロンドンやパリ、香港、そして、コロンビアやインドでも、ウォーカブルな街の開発に取り組んでいる。
それは、人々が街を歩き回ることで、地域のコミュニティづくりに役立つだけでなく、大気汚染や交通事故の減少といったことや、子どもたちが遊ぶ時間が長くなり肥満人口の減少や、ローカルビジネスの活性化にもつながるといわれる。
―なるほど。その街作りとiinoはどう関係してくるのでしょう?
嶋田「今までは、歩道を走れるモビリティは車椅子しかありませんでしたが、次の道路交通法改正では、立ち乗り型とかデリバリーロボットとかも自由に走れるようになる予定です。そこで、歩道空間で走ることができる電動車椅子同等の700mm×1200mmサイズの『typeS-712』を制作して、街の中で複数人が一緒に動けるモビリティを走らせる。それを神戸市との実証実験でお披露目したんです」
―目的地までの移動という点では同じでも、ただ歩くのと、iinoでゆっくり進むのとでは見える景色が違うということはスタッフも体験したばかり。それが、神戸の街中で体験できるとなると、何かが変わってきそうですね。
嶋田「まず、当然、都市ということを考えると利便性も必要。街の人たちの足として動く歩道的な機能を満たしつつ、同じ移動時間でもリラックスした気持ちで過ごせます。それだけでも忙しい日常の中で十分価値があるのですが、さらに、これまでは目も向けなかったような場所に気になるお店を見つけたら、iinoからふらっと降りて立ち寄ってみる、なんて行動も生まれるんじゃないでしょうか」
―なるほど。仕事でも休みの日でも、ただの移動時間として消費されていたものが新しい発見のある時間に変わるとなると、街に対するイメージも変わってきそうです。
嶋田「『typeS-712』は、今の法制度の中で3人がゆったり腰掛けられるギリギリの設計をしています。このくらいコンパクトな乗り物が自動運転で街中を無数に動いている。そこへふらっと乗り降りしながら、同乗する人と話したり、普段の街で新しい発見をしたりということが日常の中に取り込まれていくと、住んでいる街や、おでかけ自体の価値ももっと豊かなものになっていくと思います。そういう社会をこれからも目指していきたいですね」
「近く、遅く」が生み出すセレンディピティという価値
これからの幸せを考える上で「セレンディピティ」という言葉が注目されています。セレンディピティとは直訳すれば「偶然の幸運」。何かを意図して行動したり、目的に向かって努力したりということだけが人生の価値なのではなく、偶然の出会いや発見を楽しむことにも幸福のヒントがあるという考え方。iinoが街へ浸透することで、私たちはこのセレンディピティを身近に獲得できるようになるのかも知れません。
不思議で奇抜な取組みのようで、実はしっかりと私たちのこれからの幸せや豊かな時間の過ごし方を見据えているゲキダンイイノのプロジェクト。今後も彼ら劇団員のパフォーマンスに注目です!
ももぱん
「時速5km」にこだわりぬいたその先には……。今後のiinoに注目です!