【今回の取材でお話を聞いた方】
小谷洋介
万博記念公園マネジメント・パートナーズ、株式会社よしもとアドミニストレーション 総務本部
吉本新喜劇の生みの親であり、吉本興業文芸顧問の竹本浩三氏に師事する傍ら、『吉本興業百五年史』編纂を担当。ワッハ上方(大阪府立上方演芸資料館)のリニューアル、万博記念公園における特別展の企画立案制作、吉本興業のアーカイブ関連事業等に携わる。著書に『吉本興業をキラキラにした男 林弘高物語』(KKロングセラーズ)
万博の目的は、人類の明るい未来の姿を示すこと
1851年に開催された「ロンドン万国博覧会」以降、これまで世界各国で50回以上開催されている万国博覧会。そもそも、万博はなんのために開催されるのでしょうか?大阪万博に詳しい小谷さんによれば、その目的は時代とともに変化していったといいます。
小谷さん「『国際博覧会条約』の記載を要約すると“人類の未来に必要なテクノロジーやビジョンをひろく紹介すること”が、万博を開催する主な目的といえます。とはいえ1970年以前の万博は、開催国や参加国が有する経済力や技術力を自慢する見本市的な要素が強かったようです。
しかし時代が進み、大国同士の対立や地域紛争、そして公害といった地球規模の問題が深刻化するにつれ、万博の目的も単なる見本市にとどまらず、人類が明るい未来を迎えるためにどうすれば良いのか?という課題解決について、みんなで考えていくきっかけを与える場にするという性格が強まっていきました。そんな新しい万博の姿をハッキリと世界に示したのが、1970年に開催された大阪万博だったといえます」
「太陽の塔」に込められた「人類の進歩と調和」への思い
大阪万博が開催された1970年当時の日本は高度経済成長期で、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国になっていました。また世界に目を向ければ、史上初めて人類を月に着陸させることに成功したアポロ11号(1969年)に象徴されるとおり、テクノロジーも大きく飛躍しました。一方で、大気汚染のみならず、水質汚染や新幹線による騒音・振動などの問題も日本各地で顕在化し、解決すべき問題も山積みだったのです。
小谷さん「そんな最中に開催された万博のテーマは『人類の進歩と調和』。この言葉に、人類の知恵と協力によって、地球規模の問題を解決していこうという気持ちが集約されています。もちろん、世界有数の経済大国となった日本の力を示したいという気持ちもあったでしょうが、それと同時に世界が抱える様々なひずみにも目を向け、この問題をどう解決し、『調和』のある『進歩』をどうやって実現するのかを、みんなで考えていく万博と位置付けられました」
その象徴となったのが、今も万博記念公園に残る、岡本太郎がデザインした「太陽の塔」です。
小谷さん「太陽の塔は、大阪万博の会場のほぼ中心に位置する、シンボルゾーンと呼ばれたエリアに建てられました。単なるモニュメントではなく塔の内部が『テーマ館』というパビリオンの一部になっており、高さ約41mの“生命の樹”を軸に、生物の進化の過程を示しながら、生命の大切さや人間の生き方の多様さを訴える展示を見ることができました。テクノロジー系の展示物がクローズアップされがちな大阪万博ですが、高度経済成長期だからこそ、あらためて人類の原点を振り返り、人間の素晴らしさや生命の尊厳にスポットを当てたことも、忘れてはいけない大阪万博の大きな特色だったと思います」
初登場のテクノロジーも続々。大阪万博はここが凄かった!
1970年3月15日から9月13日までの半年間で、約6,421万人が来場した大阪万博。日本はもちろんアジアでも初開催となる万博であり、世界77か国が参加したことも含め、規模的にも文字通り世紀のビッグイベントとなりました。
人類の未来に役立つテクノロジーを示すという面に目を向ければ、現在、私たちが当たり前のように触れている技術や製品には、大阪万博を契機に登場、普及したものがたくさんあるといいます。小谷さんに代表的なものを、いくつか紹介していただきました。
スマートフォン(携帯電話)、ビデオ通話
小谷さん「今では暮らしに欠かせない存在となっているスマートフォン(携帯電話)ですが、一般の方がはじめて触れる機会を得たのは、電電公社(現NTT)のパビリオンだった電気通信館で展示された『ワイヤレステレホン』が原型とされています。また、コロナ禍以降急速に普及したオンライン会議システムの原点といえるビデオ通話が『テレビ電話』として実用的に用いられたのも大阪万博が最初です。当時は主に、迷子や落とし物の確認に使われたそうです」
ピクトグラム
小谷さん「2021年の東京オリンピックで話題となったピクトグラムが日本に初登場したのは、1964年の東京オリンピックです。しかし、その際はデザインが統一されていなかったため、大阪万博ではグラフィックデザイナー福田繁雄氏が考案した統一デザインのピクトグラムが採用されました。現在日本はもちろん世界各国で普及しているピクトグラムは、その際のデザインがベースといわれています」
本格的なヨーグルト(プレーンヨーグルト)
小谷さん「それまでもヨーグルト製品は市販されていましたが、本格的なプレーンヨーグルトが日本にひろまったのはこの大阪万博以降です。ブルガリア館でふるまわれた本場のヨーグルトを食べて感激した食品会社のスタッフが、日本にその味を広めるため、試行錯誤の末に製品化し、ヒット商品となりました。ちなみに、現在も販売されているそのヨーグルト製品のロゴは、大阪万博のブルガリア館のロゴにインスパイアされたものになっているんですよ」
小谷さんによれば、このほかにも回転寿司や動く歩道に缶コーヒーなど、大阪万博をきっかけに普及したものはこれ以外にもたくさんあるとのこと。ちなみに、石炭・石油にかわる「夢のエネルギー」として期待されていた原子力で発電された電気も会場に届けられ、お祭り広場の電光掲示板を通じて一般の来場者たちにも知らされました。
2025年大阪・関西万博にも受け継がれる70年万博のマインド
当時世界第2位の経済大国となった日本が、人類の明るい未来に貢献するためにできることを世界に向けて示した大阪万博。世紀のイベントとして今なお語り継がれている最大の理由は、その「熱気」にあると小谷さんはいいます。
小谷さん「景気も右肩上がりで、新しいテクノロジーが続々と登場していた当時の日本は、歴史のなかでも特にエネルギッシュな時代を迎えていたといえます。その熱気を集約し世界に発信したイベントが大阪万博でした。太陽の塔をデザインした岡本太郎や、カプセルホテルの原型といわれるタカラ・ビューテリオンを設計した黒川紀章など、既成概念にとらわれない当時の若い世代の才能を積極的に取り入れたことも、希望ある明るい未来のビジョンを日本から発信したいという熱気のあらわれだったと思います。大阪万博が今も伝説として語り継がれているのは、その熱気が来場者に、しっかりと伝わったからではないでしょうか」
そんな大阪万博から半世紀を経て、150の国と25の国際機関をはじめ、世界の企業やNGO・NPOなどが集まり、再び日本、大阪の地で開催される2025年の大阪・関西万博。そのテーマ「いのち輝く未来社会のデザイン」からもわかるように、人類の明るい未来を築くために必要なテクノロジーやビジョンを示す万博の精神は、そのまま受け継がれています。メタバースに代表される最新テクノロジーや、SDGsの達成に向けた取組みの最前線など、1970年の大阪万博と同様、先の未来では当たり前になっているモノやコトを、いち早く体験できることでしょう。
小谷さん「今のところ具体的な話は出ていないのですが、たとえば大阪万博の会場だった万博記念公園をサテライト会場で利用するなど、大阪万博とのコラボレーションも、何かしらの形であるのではないでしょうか。同じ大阪・関西で開催することもあり、2025年の大阪・関西万博にも、当時に負けない熱気を期待しています」
2025年に開催される大阪・関西万博への期待を高めるためにも、あらためて知っておきたい大阪万博のこと。当時の熱気を今に伝える記念館「EXPO’70パビリオン」では、定期的に様々な企画展が開催されています。興味を持った方は、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
EXPO’70パビリオン
「鉄鋼館」として建てられた施設を利用した記念館。当時最新の音響システムを導入し、音楽とレーザー光線によるショーで人気を博した「スペースシアター」を、今でも体験できるほか、縮尺1/300の大阪万博の再現模型といった常設展示や、貴重な資料の紹介に加え、70年代のカルチャーを紹介したりする企画展も定期に行われています。当時の大阪万博の熱気を感じたい人には、おすすめのおでかけスポットです。
スポット | EXPO’70パビリオン |
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住所 | 大阪府吹田市千里万博公園(万博記念公園内) |
営業時間 | 10:00〜17:00 (万博記念公園への入園は16:30まで) |
入館料 | XPO’70パビリオン 高校生以上210円(別途、自然文化園・日本庭園共通入園料として、大人260円・小中学生80円が必要) |
定休日 | 毎週水曜日(※万博記念公園に準ずる) |
Web | https://www.expo70-park.jp/facility/other/other-07/ |
※新型コロナウイルス感染症拡大防止対策に伴う要請により、臨時休業、時短営業など、掲載内容と異なる場合がございます。おでかけの際は店舗にご確認いただくことをおすすめします。
ももぱん
時代を映す万博。2025年の大阪・関西万博がどんな内容になるのか、目が離せません!